居場所という お話
以前のものです
何十年も前は書いた
書かせて下さい
一人の男性の話です
何十年も前
一人のアメリカから
来た男性と出会いました
確か
あれは
夏が始まったばかりで
もう18時を回っているのに
辺りはうっすら暗くなるぐらいでした
ホームは帰路を急ぐ人々で
うまっていて
まとわりつくような暑さと
列車を待つ人をすり抜けて
私はホームの最後尾を目指しました
人が少なくホッとする
灯った明りに虫が
ぶつかっては
ジッジと音を鳴らしていました
最後尾の場所から
人々が溢れかえるホームを眺めると
違う世界を大きなスクリーン越しに
見ているように
私には思えるのです
その時
一人の男性が声をかけてきました
振り向くと
そこには
外国の方が立っていました
流暢な英語で
ここから横須賀に行きたいのですが
電車はこの電車で良いのか
と尋ねてきました
私は
今からここに入ってくる
電車に乗れば大丈夫と
伝えました
男性は
分かった
とは言ったものの
不安そうにあたりを
見まわし続けていたので
もし良かったら
一緒に行きますか
私も同じ方向へ行くので
と言いました
彼は喜んでいました
そして
安心したのか
沢山の話を聞かせてくれました
アメリカ州コロラドから来た事
母親と兄がいるということ
二日前に日本にやってきた事
海軍にはいっていること
私が日本に来て初めて会話した
日本人であること
電車の中でも
話は続いていた
私は彼に
鎌倉 七里ガ浜
一度は足を運んでみるといいよと
伝えました
彼は
これから
いつまでかは分からないけれど
任務が済むまで
ここにいる
とも言っていました
彼の任務がどういうものであるのか
何をしに日本に来たのか
彼は詳しくは話しませんでした
だから
私もそれについて
聞きませんでした
私は
今彼の事を
男性
と書いていますが
男の子と
背格好はあるものの
あどけなさと子供っぽさがあり
屈託のない笑顔を
男性と呼ぶには
まだ
若い気がしました
電車は
間もなく
彼の目的駅に着こうとしていました
次が降りる駅だよと
伝えると
彼は立ち上がり
手を差しだしました
握手を交わしました
徐にペンとメモ用紙の端切れを
取り出すと
住所とメールアドレスを書いて
私に渡しました
また
お話出来たらしましょう
連絡して下さい
と彼は笑った
そして
手を振り軽快に駅へと降りて行きました
それから
何日か
メモの存在を忘れていました
ふと手を入れたポケットから
それは出てきました
広げてみて
あの日の事を思い出しました
屈託のない笑顔をしていた彼は
あれから
元気にやっているのだろうか
私は
彼へ手紙を書きました
覚えているか
覚えていないか
分からないけれど
文章はそこから始まったと
思います
長い文章ではなく
元気にしているのか
楽しく過ごせているのか
そんな事を
返事は期待していませんでした
英語で宛名を書く事を
久しくしていなかったため
それを行えて満足だったのかもしれません
それでも
知らない地に来た男の子が
その後
どうやって
知らない地を
馴染みの地にしていくのか
少なからず興味があったのだと思います
彼だったら大丈夫
私はそう思っていました
幾日か経って
一通の手紙が郵便受けに入っていました
丸みを帯びたローマ字で
私の名前と住所が書かれていました
彼からでした
そこには
こう書かれていました
この間はありがとうございました
あれから
随分と日本に慣れてきたと思います
電車も
ちゃんと乗れるようになりました
友達もできました
日本食がとても気に入り
毎日食べに出かけています
今度の休みには
鎌倉へ行ってみようと思います
そこから
お母さんへ葉書を送ったら
とても喜ぶと思うのです
ただ仕事は大変です
時間が経てば変わってくると思いますが
それでは
またお会いできるのを
楽しみにしています
彼は
日本で自分の場所を
ちゃんと
確保していました
嬉しくなりました
手紙からは
好奇心と希望が溢れていて
瑞々しさが伝わって来ました
上手くやっていっている
それから
二年
状況は変わりました
イラクで激しい戦争が始まりました
朝テレビが伝える
その一報を私は見ていました
すぐに
あの男の子は
どうしているのだろうか
と私の頭を過りました
胸が
重く打ったのを覚えています
一時であっても
繋がった者は繋がった者のままです
時の緩みで繋がりは
たるんだとしても
糸を手繰り寄せれば
一瞬で張るものです
ブラウン管越しに響き渡る
空爆の音と
黄緑色の閃光に愕然としました
愕然として
呆然として
私は
空爆が鳴り響くテレビを消し
靴を履き
仕事へと出かけました
普通に家を出て
普通に鍵をかけて
普通に広がる青空の下を歩き
普通に雑踏に紛れ
何事もなく
普通に
電車に乗る
ここは
普通でしかない朝
足が止まり
動けなくなりました
一方の感情は
もう一方
無意識下では
戦争が私とは関係のない
別の場所で起こっていると
安心感を認識していたと
戦争は
同じ地で起きているのに
少し反対側の
ここでは
普通の日常が
ゆっくりと過ぎている
人で溢れたホームを
最後尾から眺めているのと同じ
同じ地上で
起きている事
でも
自らが
体験していないがために
一瞬で消えゆく
流れ星のようなものとして
脳裏に
映ること程怖い事はないと
ひどく感じました
今
起きている事は
現実のことなのだ
そこから
認識しなければなりませんでした
手紙が届きました
元気にしていますか
船の上から
この手紙を書いています
僕は
最前線に行きますが
陸にはあがらないそうです
だから
銃を持って歩き回る事を
僕はしません
それでも
ただ何も無い海を眺めていると
怖くて 怖くて 仕方がなくなります
弱いと思っていも構いません
心が壊れそうだと
打ち明ける友人はいません
皆強がっているのだと思います
この手紙を
あなたへ書いたのは
僕の帰る場所が
日本に在るのだと
自分に言い聞かせるためです
あなたと電車の中で
話したことを思い出します
帰ったら
もう一度
鎌倉に行きたいです
また
お手紙を書いてもいいですか
僕にはそれが
必要なのです
一体なんだろう
弱さって
一体どんなものだろう
この男の子には
弱さを吐き出す場所さえない
手紙を読みながら
涙が落ちました
強さと弱さという真逆の感情の中
どちらかが
必ずしも
真実だと決めつける事を
誰ができるのでしょうか
外で見せる強さと
自分だけに見せる弱さの
間
それが一番の真実だと思うのは
私だけでしょうか
私には
あの男の子が船の上で
震えているのが
一瞬
戦争と彼は
程遠かった
涙が出てしまいました
この男の子の
後戻りできない
感情の揺れが
激しく伝わってきたからです
きっと
彼自身が
自分で選択した道です
こんな
結果が
待っていたということを
この男の子は
私はすぐに
ペンとり
返事を書きました
励ます言葉も
勇気づける言葉も
安心させるための言葉も
私の中には
一個もありませんでした
ただ
一緒に鎌倉へ行こう
浅草でもいい
私が色々な場所へ案内するよ
と書きました
彼の場所は確実に
ここに在る
待っている人がいる
それだけが
伝わればいい
封をしてポストへ入れました
切手を一枚多く貼りました
無事に帰って来るように
強く祈って投函しました
男性達は
どんなに
過酷な精神状態に
追い詰められても
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